米国で挑戦する日本のベンチャー企業

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株式会社レグイミューン 〜空(カラ)のプールにダイブする〜
regimmune 森田晴彦氏
株式会社レグイミューン 代表取締役CEO

キリンビール株式会社医薬事業部にて研究開発等に従事した後、 戦略 コンサルティングファーム、ブーズ・アレン・アンド・ハミルトンにて 経営コンサルタントとしてハイテク企業を中心にマネジメント・コンサ ルティングを行う。
2003年に抗体医薬を開発するワイズセラピューティックスに入社し、 事業開発部長として経営企画、事業企画等を担当。また2005年より 米国支社立ち上げのために米国オフィス勤務。
2005年末にワイズセラピューティックスを退職し、2006年3月に 株式会社レグイミューンを設立。
代表取締役CEOに就任。
東京大学工学部卒、同工学系大学院(細胞工学)修了。
Q:
大学での御専攻はバイオですが、もともとバイオに興味があったのですか。
森田:
いいえ全然(笑)。父親が医者だったこともあり、幼い頃は医者になると漠然と思っていましたが、成長するにつれて医者には向いていないと思ったんですね。
Q:
それはどうしてですか。
森田:
何故でしょうね。血を見るのが怖かったからですかね(笑)?
就職先の決定については、間抜けな話なんですけど、成り行きです。バイオ系の研究室にいたので製薬会社に就職するのが普通だったのですが、製薬会社の就職活動の動きは早くて、みんな修士課程の1年目の夏ぐらいに就職活動を始めていたんです。それを知らなくて年末になって製薬会社に電話をしたら「受付はとっくに終わっています」と(笑)。その時に残っていたのは非製薬会社で製薬をやっている会社で、受けた中でキリンが最初に返事をくれたのでキリンになりました。すごく安易でしょ(笑)。
Q:
キリンでの仕事として、ビールではなく医薬の分野を選んだのは何故ですか。
森田:
それも間の抜けた話で、キリンの人事部の人に電話したら「うちはビールと医薬がありますが、どちらが良いですか?」といきなり決断を迫られて、適当に「医薬」と答えてしまったので、いまも医薬の世界にいるというわけです。
Q:
その頃から決断力があったわけですね。
森田:
思いきりは良いほうかもしれませんね。
僕がキリンに入社したタイミングは非常に良くて、新薬の種を見つけたところでした。キリンは米国の医薬品会社であるアムジェン社と以前の開発で組んでいた経緯もあって、僕が関わったプロジェクトもアムジェン社と共同で開発をすることになりました。
Q:
どうしてキリンを辞められたのですか。
森田:
そのプロジェクト自体は非常に面白かったのですが、キリンが見つけたシーズであるにもかかわらず、アムジェン社が開発をリードして、いろいろな事情で失敗に終わってしまいました。誰もが認める素晴らしいシーズだったのですが、それをうまくビジネスにつなげられなかったことに無力さを感じたのが、一つの理由です。もう一つの理由として、僕はあまり実験が得意じゃないというのがありました。実験は料理みたいなもので、例えばレシピに「塩少々、胡椒少々」と書いてある場合に、料理上手な人は「少々」というのはどれくらいかわかります。これはセンスの問題なので、僕が勝負するところはここではないとある段階で見切りをつけました。研究と実験は違いますが、実験のできる研究者のほうが優れた研究者であると思いますから。
Q:
その後どうされたのですか。
森田:
研究をやめるならビジネスをキリンでする必要も特に無かろうと思い、ビジネスを最先端でできそうな戦略コンサルティングファームにいきました。そこに2年ぐらいいて、製薬会社だけでなく化学メーカーや消費財メーカーのプロジェクトをいくつもしました。その会社のオフィスはその後に入ることになるワイズセラピュ−ティックのすぐ近くで虎ノ門にありました。知り合いがワイズセラピューティックの財務担当で、「うちの社長は面白いから話を聞いてみる?」という話になって、その日のうちに社長に会いに行って、「うちに来ない?」と言われて、面白そうだったので気軽に決めました。
Q:
すべて即決ですね。
森田:
そうですね(笑)。僕はそこで経営企画、医療開発を担当し、米国で開発のオペレーションを立ち上げることになって、米国に1年間ほどおりました。そのワイズセラピュ−ティックを2005年の末に辞めた頃、キリン時代の先輩から、「面白いシーズがあるので事業化を考えている」という話を聞き、その話に乗りました。
最初はコンサルベースでのお手伝いで、一緒にベンチャーキャピタル(VC)を回っていたのですが、ことごとく断られた中で現在当社の主要株主となっているVCの担当者に巡り合いました。そのVCから、僕がコンサルベースのような片手間ではなく社長をするのであれば投資すると言われ、社長就任を決断しました。
当時、独立行政法人理化学研究所(理研)の技術をベースに医薬品を開発するというコンセプトだけが会社にあって、理研から技術のライセンスを受けているわけではありませんでした。理研はお金がある会社にならライセンスをするといい、VCはライセンスがあるならお金を出すといい、「鶏と卵」の関係になってしまいましたが、VCの担当者は、「お金があったらライセンスを取れます」と僕が言うのを信じて、何もない会社に賭けてくれました。
結局、資金調達にもライセンス取得にも成功しましたが、開発を担当する人材がいませんでした。ちょうどその時、ワイズセラピュ−ティックで同僚だった青柳が同社を辞めるという噂を聞いたので、拝み倒して彼に来てもらうことになりました。これで資金・ライセンス・開発力がそろったわけです。
ベンチャーを興すためには、これら3つの主要リソースが必要なんですが、すべてが「鶏と卵」の関係です。誰かが無理矢理その3つを集めないと、単なる絵空事で終わってしまいます。起業家というのはそれをやる人なんですね。あとでそれが分かりました。
Q:
御社の事業内容と米国で事業展開される理由を教えてもらえますか。
森田:
我々が開発するのはアレルギーと自己免疫疾患の薬です。もともと理研ではスギ花粉症の治療薬を作るというコンセプトで技術開発がなされていたのですが、この技術は特定の抗原に対して特異的に免疫を抑制できる技術なので、スギ花粉症だけではなく、他のアレルギーや自己免疫疾患などにも応用が可能なものでした。また既存の免疫抑制剤というのは免疫を全体的に下げることしかできませんが、全部の免疫を下げると、外敵に対するバリアがなくなります。外敵に対するバリアを維持しつつ、特定の所に抜け穴を作って味方だけを通すのが理想的で、我々が開発している薬にはそれができます。つまり非常に理想的な機能をもった強力な技術だったのです。我々はこの技術をベースにアレルギーと自己免疫疾患の薬を開発するというモデルを構築しました。その中で自己免疫疾患の骨髄移植に伴う拒絶反応である「移植片対宿主病(GvHD)」の抑制を最初のターゲットにして開発を行うことにしました。
一般的に他の適応疾患における臨床試験もそうですが、症例数や薬事行政の問題があって、臨床試験は米国で行うほうが早いです。ただ、当社としては、臨床試験だけではなく、その前段階からすべて米国で開発するという戦略を選択しました。法律の違いもあるし、申請やライセンスに必要な言葉は考え方そのものですので、米国の土壌において米国食品医薬品局(FDA)への申請を進めていくためには、人材を含めて米国で戦えるグローバルなチームを構築しなければなりませんでした。
Q:
米国に来て苦労されたことは何でしょうか。
森田:
人材の採用です。コネクションを使ったり、リクルーターを使ったり、サイトで公募したりしましたが、なかなか良い人材が見つからず苦労しました。良い人材は、極端に言えば、お金で釣るか魅力で釣るかのどちらかですが、お金だけだとすぐ辞めてしまうし、事業へのコミットメントも低いです。我々のやっていることに共感をしてくれる人でないと続かないですね。また、特にベンチャー企業でお金のない会社は信用がないので、こちらで会社を作るのは大変です。日本の公的機関であるジェトロの支援を通じて信用を得ることができたので、ジェトロのインキュベーション施設に入居した後の立ち上げもスムーズにいきました。
Q:
日本で仕事をしている時と、米国で仕事している時とで違いはありますか。
森田:
英語で仕事をしている時の自分と日本語で仕事をしている自分は人格が違うと思います。普通にコーヒー1杯買うのも店の人と揉めたりしないといけなかったり(笑)、生活でもビジネスでも、ここでは交渉しないと欲しいものが手に入りません。英語の世界では、少しテンション上がった自分がいます。日本語だと「どう?」って聞かれて「ぼちぼち」とか答えているのに、英語で「How are you?」と聞かれて、何でもないのに「I am great!」と答えたり(笑)。
Q:
「起業」という言葉を聞いて連想することは何でしょうか。
森田:
「空(カラ)のプールにダイブする」ようなイメージですかね。ダイブするときには水は張られていないのですが、プールに着く頃に水がいっぱいになっているように、みんなで命がけで努力するイメージです。「起業」という言葉自体は昔から日本にもありますが、最近になって広く使われるようになったところがあって、流行のように「起業」が言われています。しかし、本当に「起業」ということの本質を理解できている人は少ないと思います。みなさんが考えている以上にシリアスです。シリコンバレーは米国の中でも特殊な「行け行けどんどんカルチャー」で「起業」の多いところですが、それを支えるインフラが日本とは違います。「ベンチャーキャピタル+ストックオプション+株式公開」というシリコンバレーのファイナンスのモデルは、初期段階で多額の資金を必要とする医薬品の開発に合致しています。コンサルタントや弁護士が有する成功のノウハウもここでは十分に流通しています。このようなインフラも何もない日本で「起業」とかいわれても、そんな簡単なものじゃないと思います。
Q:
では「起業」成功の鍵は何でしょうか。
森田:
まだ成功していないのでなんともいえませんが、仮にあるとすれば「強い意志」だと思います。「起業」というものは誰かに後押しされてするものではなくて、苦しいけどやりたいからやるものだと思います。誰かから「戦車作るから戦争やりましょう」と言われても、やりませんよね?
Q:
御社が株式公開して、ある種の「卒業」をしたと仮定します。その時、また別の起業をしますか。
森田:
そのことは最近よく考えます。レグイミューン社は必ず成功すると思っていますが、もう一回同じことをするかと思うと躊躇します。大変ですから。多分しばらく起業はお断りでしょうね。でも半年ぐらいすると忘れてまたやるでしょうね。お産の痛みも忘れるとよく言いますから。お産をしたことはないですが(笑)。
(編集:ラッキーみちる)

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